ココログとワタクシ。

今回のトラックバック野郎のテーマは、『ココログとわたし』だそうな。
なんとなく書く気になったので、だらだらと書いてみることにした。

※事前に言っておくと、すごーーく長いので、読みたくない方はどうぞ飛ばして下さいませ。

◆若かったあの頃

もともと、文書を書くのはキライではない方だ。
今と違って、まだまだパソコン通信なんてものが全盛期だった頃は、ニフティの『フォーラム』なんていう掲示板っぽいところに細々と文章を書いたりしていた。
当時は、まだ「人に見られること」をあまり意識していなかったせいか、自分の好き勝手にただ駄文を書き連ねていたように思う。
「大失恋日記」なんてのも書いてたりして。もう今や直視できたものではないけれど。

◆ぐうたら時代

そんな『フォーラム』や『パソコン通信』の衰退と共に、世の中にはインターネットが普及し、掲示板もありふれたものとなった。
でも、掲示板も、ただ人が集まって書くところに過ぎない。自分も使うには使うし、便利なんだけど、何かが物足りない感じがする。
たぶんそこには、「何かを"発信"しよう」という意志が決定的に書けているんじゃないか? 僕にはそう思えて仕方がなかった。

そうは思いつつも、人というのは楽な方へ流れていくもの。
気がつけば、チャットやメッセンジャーばかりの毎日になっていた。友達とのメールもほとんど短い携帯メールに移行してしまった。
そうなってしまうと、掲示板に何かを書くのもおっくうになっていく一方だ。「腰を据えて物事を考えて書く」という行為が、たまらなくめんどくさくてしょうがなくなってしまったのである。

◆転換点

ところが、人生やってるといろいろ考えさせられる機会というのがあるもんだ。
あるときは、ものすごく好きな映画のよさを友達に伝えようとしたら、あまりにも陳腐な言葉しか出てこなくてしどろもどろになり、伝えきれない自分自身に幻滅してしまったり。
あるときは、自分の思いつかないような表現や言い回しで脚色した友達の話がものすごく面白くて、それに対して嫉妬してしまったり。
またあるときは、会社で稟議の文書を書いて上長に提出したら、「日本語がおかしいよコレ。」と言われて、『てにをは』から直されてしまったり。
だんだんと自分の『能力不足』に気づかされることが増えてきたのである。

ある日、久しぶりにパソコン通信時代からの友人のホームページを見ると、ブログというものになっていた。
もともとその友人の文章が好きだったので、過去ログを楽しみながら一通り読み終えるのにたいして時間はかからなかった。
読み終えて一息ついたあとに、こう思った。

「文章書ける人って、いいよなぁ。」

ニフティユーザーなら簡単にブログを始められることを知り、自分のココログをスタートさせたのは、その翌日のことだった。

◆一種のパズル

パソコンというツールは、文章の編集にはすごく向いている。紙と違って、後から思いついた言い回しを付け足したり、文を組み替えたりするのが簡単にできるからだ。
いったん適当に書き連ねたことを後から見直すことによって、自分が書いている文章で言いたいことが言えているかがよくわかる。
一本芯がぴーんと通っていない文章は、書いているときもなんとなくわかるもので、後から見直すと駄作以外の何者でもない。
(読んで下さっているミナサマ、駄作ばっかですんません…)
そうならないように、いろいろ言葉を組み替え、順番を入れ替えて味付けしていくんである。
慣れると、不思議とこの作業が楽しくなってくる。文章に筋を通すというか、魂を入れるというか、そういう感覚がなんとなく見えるようになるのだ。
昔はあまりそんなことを意識しなかったはずなのに、心境とは時間が経つにつれて変わってくるものらしい。これも一種のココログによる効果か。

◆趣味や仕事がつながる

さて、今の自分は、自他共に認める多趣味な人間だ。
ドラムにボーカルにロックダンスに英会話に写真にあれこれ。
全部ここ数年以内に始めたものなので、どれもメシの種になるほどではない、プロから見れば中途半端なものばかりである。
でも、全ての趣味はどこかでつながっていて、そのおかげで人生楽しく生きられるらしいことが、最近よく実感できるようになってきた。

自分の持っている趣味は、たまたまかもしれないが『他人に見られる、他人に見せる』という点が共通しているようだ。
世界に向けて自分の文章を"発信"する場であるココログも、例外ではない。

例えば、いい音楽を聴いたとき、『これ、すげーいい!!』って言うだけじゃなくて、その気持ちを言葉に出して表せたら、それがココログのネタになる。
その逆で、いろいろな気持ちを表す言葉を知っていたら、音楽がよりいっそう楽しめるようになる。

音楽が楽しく演奏できたり、音楽に乗って気持ちよく踊れたりしたら、純粋にうれしい。
バンド仲間やダンス仲間がそうやって楽しんでいたら、その雰囲気があふれ出てくるような写真を撮りたいと思う。

いい写真が撮れたら、それをココログのネタにしていい文章を書いてやろうといろいろ考える。
逆に、話のネタが先に思いついたら、何かそれに関連したものをいい構図で写真に収めたくなる。

いい日本語の文章を見かけると、「これって英語で言ったらどういう言い回しになるんだろう?」と考える。
英語の文章の組み立て方を見て、改めて日本語の文章の構築力について考えることもある。そして、それをココログに反映しようと試みる。当然、稟議の文章を書くときにもそれが活きてくる。

まだまだキリがないので、例を挙げるのはこの辺にしておくことにするけれど。
初めてから2ヶ月とちょっとしか経っていないのにも関わらず、自分の中でココログは「思考をカタチにして表現できる」ひとつの大事な場となり、自分を構成する歯車のひとつとして機能してくれるようになった。
おかげさまで、ネガティブなことを考えることが前よりも減った気がする。
今は、ただ『見せる』だけでなく、一歩先の『魅せる』ことができるようにするべく試行錯誤を続けているところなんだが、なかなか難しい。

◆いろんな才能との出逢い

リンクとトラックバックという機能のおかげで、いろいろな人のブログにお邪魔する機会が増えた。
そこで思ったことは、「世の中、おもしろい人がいっぱいいる!」これに尽きる。
何を書いてもおもしろい人、派手さはないものの説得力のある文章を書く人、イラストが上手い人、きれいにまとまっている人、人のココロを揺さぶる書き方をする人。
そんな人達のブログに触れることができ、そこに訪れている人たちと言葉を交わすことによって、どんどん世界が広がっていくのがわかって面白い。

◆そんなわけで

あーだこーだ言いたいことを言ったが、要はココログ始めてみたらおもしろかった、ってことである。
ネタ切れにだけは注意して、細々と続けてみようかなぁと思っている。

ブログやってるミナサマ、一緒にがんばりましょい。


加藤ローサさんのプレゼントかなんか当たるとうれしいなぁ。なんてね。

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